1.都会の高校
私も大学は都会でしたので、都会の高校について
地元出身の子と何度か話をしたことがあります。
都会では、レベル別に学校がある、つまり、中学の
偏差値が50~55ぐらいなら○○高校というような
ランク別に高校が分かれているということです。
都会は、たくさん高校がありますから。
2.田舎の高校事情
私がいる田舎では、高校自体の数が少なく、
かつ高校間の距離も遠いんです(泣)。
ですから、私が通っていた高校も偏差値は並み以上でしたが、
入学してくる生徒は東大・京大を目指す天才秀才から高卒で
就職するという生徒まで幅広いんです。
なぜ天才秀才が来ていたかというと、
まず、家から近い(超進学校へ入れるけど通うには家から遠い
から)という田舎らしい事情です。
また、私が通っていた学校は当時自由でした。
(近年保護者からの要望で、あまりに生徒任せ、ということで
希望者には補講をするということになったようです)
それは、夏休みの補講も無く、成績が悪くても0時間目として
補講をしたり、土曜日に補講などなど勉強漬けの学校では
無かったのです。
クラス分けも成績順はないため、同じクラスに全科目ほぼ100点を取る天才秀才から、全科目一桁台というクラブ活動やアルバイト、バンド活動などに力を入れて勉強は卒業できればいいや程度しかしない生徒まで幅広かったですよ。
成績が悪く赤点でも補講はありませんが、普通に落第します。
高校2年生を2回する生徒も普通にいました。
そのように勉強を強制することはしない学校でした。
3.自由な校風と記念受験
当然、大学は自分で選べますよ。
だから、記念受験は沢山いました。
偏差値50ぐらいで早慶を出願し受験し見事に落ちるということで
す。
「私、慶応受けたけど落ちたんだ~」。
私たちからすれば「でしょうね」ですが、本人は満足していました。(さすがに、東大京大は足切りがあるので記念受験できませんから、早慶の記念受験は人気でしたよ。田舎もんが東京へ行く口実です(笑)。
前日に東京に入って新宿など見学?し、夜一応赤本を見て?次の日受験して、受験後は原宿などに行って帰ってくるというコースです(笑))
私も漏れなく記念受験しました。田舎もんが東京のビル群や人の多さに圧倒されました(笑)。電車は迷路のようになっていて一人で行ったらホテルや受験会場に行けなかったと思います(笑)。
記念受験のため、友達何人かで同じホテルに泊まって受験しました。夜は一つの部屋に集まって高校時代の思い出話をしてました(笑)。
私も落ちるのはわかってますが、何か満足感がありました。
生徒の受験する大学を高校の先生が選び、それ以外受けさせないという
高校が他県であったみたいですが・・・。恐ろしい。
だから、高校近くの天才秀才たちは、勉強の邪魔をしない高校
として 私が通っていた高校に入ってきました。
(1年で入学したてのころは、この地方で中学時代有名な
成績優秀者が何人かいて、うちに来たんだ、と結構びっくり
していました。仲良くなって理由を聞くとやっぱり「近いし、自由
だから」と言ってました)
4.都会のある進学校の話
私が大学時代に聞いた都会の進学校出身者の話です。
クラス分けは、成績別にかつ席順も決まっていたと言ってました。
テストがあるたびに、1番から30番は1組、31番から60番が
2組・・・ということだそうです。
当然のように3年1組は、東大京大又は国立の医学部に受かって
いくのだそうです。
2組くらいだと早慶クラスだそうです。
3組、4組とレベルが下がるので学校にいずらくなります。
最後のクラスは、先生からも「この学校の恥」という扱いだそう
です。
そのプレシャーに耐えられず、退学者が毎年何人もいたそうです。
なんか嫌な感じですね。
その高校も時代の流れで、最近はだいぶ変わったみたいですが・・・。
でも成績順というシステムに親御さんの根強い人気があるようです。
私は地元の通っていた高校で良かったと思います。
楽しく高校生活を過ごせましたし、大学受験が全てではないといういろいろな価値観を持つ友達がたくさんできましたから。